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2005年8月 4日 (木)

ザルツブルク⑦

ホーエンザルツブルク城塞(つづき)

前回の続きです。

城塞の構造は複雑です。簡単に言ってしまうと、要塞を頂点にしてらせん状に下りながら道があり、その脇に建物が連なっています。

2005_06140068 ケーブルカーを下りた広場のあたりです。

この建物の上には階段で登ることができます。

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2005_06140079 要塞を下る途中の街路です。夕方だったせいか、ひっそりとしていました。

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2005_06140077

下っている途中で奇妙なものを発見しました。

「アシュラ男爵」の牛バージョンです。なんでしょう?

危うく夜も眠れなくなるところだったのですが、後ろの壁に説明書があったので、疑問は解決しました。

まあ、「ネタばれ」になりますので、ここでお知らせすることは止めときますわ(笑)。

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2005_06140084 ケーブルカーの歴史は古いようですね。

ふもとの乗り場に昔の写真が展示されていたので撮りました。

19世紀末でしょうか?

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2005_06140086 おまけ。ふもとのみやげ屋で売ってました。

帽子に金髪を取り付けたものです。日本男子が被ったらバカウケ(死語)でしょう。

「かぶりもの」を見た人間の宿命として、試着してみました。

2005_06140085 どうですか?

賢明な読者の方はお気づきと思いますが、これは私ではありません(笑)。

このみやげはオーストリアでブームのようです。いたるところで発見しました。

この後、ザルツブルクの湖水地方のザルツカンマーグートに行ったのですが、それについては、また別の機会にまとめて報告します(というのも、この旅は6月中旬に行ったのですが、7月末に再びザルツカンマーグート周辺を訪れたため)。

次回からはおそらくウイーンになります(「ロンドン消息」のタイトルには程遠い内容)。

【アシュラ男爵牛の由来】

1525年頃、この城塞は敵に包囲されました。籠城期間が長くなり、食料が尽き、一頭の牛だけが残されるだけになりました。そんなとき、城塞の司令官はあるアイデアを思いつき、城塞の窮地を救いました。

ある日、司令官は、敵に食料がたくさんあることを見せるために牛を城壁につれていき、敵に見せびらかしました。そして、その夜、牛は黒く塗られ、次の日の朝、また城壁に連れて行かれました。これを見た敵は城塞にはまだたくさんの食料が残っていると見て、囲みを解きました。それ以来、ザルツブルクの人々は"Oxen Washer"として知られることになりました。

まずい翻訳ですな。

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